やまびこラボ こども(と大人)のためのワークショップ






こちらのワークショップでは、「音を聞く、音を伝える」を主眼に子供たちによって描かれた自然の音のスケッチを、本人から音楽家に伝え、それを可能な限り忠実に音にする体験、またそれらの音を使った即興を聞き、音を描写する、という二段階の創作過程に参加してもらいました。

音楽創作における原点は音を聞くということ、そしてその音を伝えることだと思っています。日常の中で子供の周りには音があふれています。その中の多くが「人に聞いてもらうために発せられた音」です。これらの音には方向性があり、存在を認知してほしいという欲求があり、多くは経済活動と関連があります。

コマーシャルの音や大人の話、言葉一つ一つは何かしらの意味をもって発せられており、全て小さな子供たちの耳に届いています。しかしながら、日常の中にはこういったベクトルのない音も多く存在しています。

自然の中で聞こえる音、もしくは聞き出そうとする音は普段は聞かれない存在です。音自体にヒエラルキーはありませんが、社会構造の中で段階化された音の中には、同じように存在していても忘れられてしまう、無駄だと思われているものもあります。

イヤークリーニングでは、それらの段階化された音を一旦フラットにし、聞こえた音をそのまま描写してもらうことで、子供たちの耳に届きにくい音を聴取してもらい、更にそれらの音を子供たちにプロの音楽家へ伝えてもらいました。

何か抽象的なものを誰かに伝える、という行為も、芸術活動をする中で非常に根本的でかつ難解な態度ではあります。特に生きてきた年数が短い子供たちにとって、共通するであろう文脈上で説明することは簡単なことではありません。だからこそ、子供たちが今持っている言葉や知っていることを駆使して、なんとかわからないものを伝えようとする、そして何より大人がそれを聞こうとする瞬間がとてもクリエイティブに感じられ、普段の生活の中でいかに子供の声を聞けていなかったか、個人的に反省もありました。一人一人が同じような権利を持ち、その中で選択し、選択したものを尊重できるためには、まずは声を聴いてもらえる環境が大事だと感じます。一見無駄に感じられるようなもの、小さな声やはっきりしない言い方も、その中にはその人自身の決定があり、そのことが生きている、ということであると思います。

小さな子供にとって既に「作曲」という行為が敷居が高いものである、と認識させてしまっていることは、私たち音楽家、作曲家の責任でもあります。

今後も多くの選択肢を子供たちに対して可視化できるような活動を続けていきます。

(Photo: Miyuki Shimizu)