Die fehlende Melodie (2021-2022)

今年一月にドイツ、ケルンのLoftで演奏された「欠けたメロディー」を抜粋で公開します。

この作品は、二つの異なる時間軸が存在するよう作曲されています。一つは鼻歌のようなもの、そしてもう一つはゲーム性のある和音です。チェロによって演奏される鼻歌のようなものがメロディー、和音は伴奏であるとするならば、所謂「歌と伴奏」という古代の手法で書かれていますが、その組み合わせは作曲家側からは指定されず、偶然出会ったメロディー(のようなもの)と和音(のようなもの)が重なって、結果的にその和声上で鳴っている歌のように聞こえてくる、という仕組みを利用しています。

チェロによって弾かれる音たちは、指の微細な動きによって即興的に演奏されたチェロの高倍音であり、それは本来メロディーとして演奏されたものではなく、単なる運動性として現れた現象のようなものであります。無意識の運動性が定着された音として楽譜上に書き起こされ引き延ばされ、一つ一つの有機的な音として連結することでメロディー(のようなもの)が現れます。

またその背後で(実際にはメロディーであるチェリストが空間の背後に、伴奏である和音を奏でる管楽器が舞台の前方に)時折顔を出す和声は、重音のみを使った偶然的に(創作上は意図的に)組み合わされた四和音であり(単なる三度と三度の集積が、長三和音や短三和音のように結果的に聞こえてしまう)、二人の奏者は和音カードを交互に提示することで、予測不可能な順番で和音が現れるよう、計画されています。

野外で風によってゆらゆらと揺れる看板が、キーカラキーカラと音を立て、その横で小さく聞こえる冷蔵庫のノイズが一つの塊として聞こえる時に、意図せずに組み合わされたノイズに調性を見出すことがあります。 人が音を認識することは、その人自身がその音の記憶と共にある時であると思います。

自分自身の中に音楽を発見し、偶然的に聞こえてきた音とそれを共有するときに、音楽が身体の中に存在することを感じます。